かさなる。


人と
重なることを
くりかえせば
くりかえすほど

人ではない
何かと重なりたくなる。

sexという
人の想いではなく
物理的に困難な

山だったりね。
  


2010年11月22日 Posted by un at 17:13Comments(0)

たとえば僕がお爺さんになったとして。


そうなっても
写真というものがあれば
そのときに静かに戻る。

音もなくて
すーっと
僕が若がえるのだろう。

山が秋をうけいれ

それが
苦いものとか
しあわせとか
あるけれど
儚いけれど
そこに戻るのだ。

静謐な
またたきの跡を
小さく残しながら。
  


2010年11月22日 Posted by un at 16:27Comments(0)

よーちなこっかい。


政権をとらないと
自分たちの意見が
通らないのは分かる。

しかしだ。

なんだ。
この国会。

あまりに幼稚で
呆れる。

個人がどうとか
言ってる
場合ではないだろう。

僕は
この国に対して運動を
興さないから
言える立場ではないかも
しれない。

しかし
国会議員のみなさん。

国民はあなた方の
議論というものに
不安を通り越し
哀しさを感じていますよ。

まあ、
まともな
議員な方もいらっしゃるので
全てへの投げかけでは
ないですけれど。

ふと
外のテラス席で
日本の新聞をみて
ぐったりしたので
吐露してしまいました。

この発言自体が
徒労か。

でも
このままでは
僕もその
よーちな
国会議員と
同じなんだよな。

  


2010年11月22日 Posted by un at 15:44Comments(0)

オニオングラタンは今。


思いかえして
みれば
食べもので
そのときの記憶が
どどどーっと
溢れるときがある。

口に運ぶものは
頭のなかに
辛さや
苦しさや
やさしさやらを
刻む。

月曜日のお昼。

この時間は10年後
僕に何を残すのだろう。
  


2010年11月22日 Posted by un at 11:04Comments(0)

いずれ。


解りそうな事は
表のカタチよりも
困難で
わかりずらい。

では
僕らは
どれだけ
毎日の空やら雲の
それをどう観てるのか。

本当とかを
意識しないで
毎日、それを
いつのまにか
みている。

そんなこと
考えていないか。
  


2010年11月18日 Posted by un at 18:20Comments(2)

ところどころの空。


空につきでる様に
時間によって
様子をかえる
茶色の塔。

しかし
美しい景色とか
そういうのはあるけれど
記憶にとどまる景色ほど
美しいものは
ないのかもしれない。

僕やあなたが
そのありったけの
美意識を回転させて
つくるものは
何ものでもないから
それぞれに
残るのだろう。

何にしても
どこの国に居ても
変わらないのが
頭のなかのケシキだ。

かわらないから
かわらないのだな。
  


2010年11月18日 Posted by un at 17:30Comments(0)

モノタリナイとは愛だ。笑


栃木の友人と
ある飲み物を
飲んだときに出た言葉。

それはあらゆる
ものを削ぎ落とした
健康ビタミンドリンク。

パッケージデザインやら
ウタイ文句から
すると
さぞかし
濃い味なのだろうと
思っていたら
モノタリナイ味
だったのだ。

しかし、だ。

何か勘違いが
これにはあるのではないか。

そう思ってしまうと
いてもたってもいられず
クルマの窓をあけ
スーパーマーケットの
駐車場で議論をはじめた。

そもそも
毎日の食事に限らず
自然の濃さというのは
極めて微妙に
ものたりない。

人工物をいれる事に
よって完璧になり
口に入っていると
思うのだ。

モノタリナイって
本来のもので
これが真っ当なのではないか。

足りないというのは
それを否定するものであり
そこに足し算という
積み木を不安定に
つんで
いずれは崩壊する。

そして世界は
人間のエゴイズムにより
第三次世界大戦勃発。

日本はあれよあれよと
アメリカに吸収されながら
安心と思ったのも束の間。
お隣りに
破壊しつくされる。
それも
メイドインジャパンを
作った職人たちの造った
兵器で。

さらに、、、

まあ、それは
大袈裟にしても

物足り無いは
愛なんだと
お昼の休みに結論
づいたのだ。

僕らは
満足の一歩手前を
意識すれば
食事もそうだけれど
人間関係もスムース
だとおもう。

完璧に
作られたものを
観て、食べて
それを
求める癖がある毎日。

アバウトであった
思考も
スーパーコンピュータ
のように計算しつくされた
ものになってやしないか?

小さな
ドリンクを
また一口飲んで
空を見上げた。

水曜日の昼下がり。

話した内容に
疲労を感じながら。
  


2010年11月10日 Posted by un at 20:59Comments(0)

陽があたたかい。


どうも夏は
陽を意識することは
あまりないけれど
秋と冬は
そこ彼処に
それを感じようとする
僕がいる。

今日は早朝から移動。
久しぶりに信州から
出るのだ。

ついでに言えば
クルマではなく
バスである。

運転をしてもらうのは
こんなにも時間を
ゆっくり過ごせるのかと
歓心している。

陽がまぶしい。
山がうつくしい。

今日もまた
よい一日になりそうだ。
  


2010年11月06日 Posted by un at 07:04Comments(0)

super8が脳をえぐる。


DVDを借りてみていると
必ず手前に
映画の宣伝が入る。

毎度のことだな〜
なんて思いながら
早送りに手をやろうと
したが
今回は何故か
グッと僕の
目にそれが入ってきた。

JJとSpielberg!!?

JJはロストやら
フリンジやらの
今やトップランナーの
斬新な脚本家。

そして
そんな好きでは
ないけれど
一通り観ている
重鎮な監督
Steven Allan Spielberg
がひとつの映画を
作るというではないか。

もう
予告で
ぐわーーっと
引っ張られ
引き込まれ

あれ?
ここは映画館?
いつのまにか
気持ちがそこの
椅子に
座ってしまっている
状態になった。

こういう感情は
久しいな。

多いに愉しみだ。

super8。
  


2010年11月02日 Posted by un at 17:21Comments(0)

車のない生活がそろそろと。


フランスでは
毎日のなかで
共有するものが増えて
いるようだ。

クルマや自転車や
移動をするものに
関しては
「みんな」で
というものが
四季のような
スピードで
浸透しているようだ。

それを考えると
確かに不便な部分はある。

しかし
「共有」するという
ことは自分独りではない。

さらに
誰かが
その次に使うという
終わりがないシステム。

それは
モノを使うときに
意識する状態が
高くなるということだ。

僕はおもう。

今の考えの中に
不足しているものが
あるということを。

そして
どこかの誰かと
みんなで使うと言う事は
気持ちのアンテナを
高くできるのではない
かと考えるのだ。

ふっと
アルコールの量が
減って
部屋のモノたちが
減って
センチメンタリズムが
やってきてるのかな。

いろいろ考えた
深夜のひとときだった。

あなたにとって
今日がいい日で
ありますように。
  


2010年11月02日 Posted by un at 01:09Comments(0)