そこに映るりんご。
カメラを
構えたとき
ある自転車が
あったとする。
すこし角度を変えると
なにかいい風な
気持ちが出て
手を出すと
出した分だけ嘘になる。
あるものに
変わりはないけれど
そこが変わってしまう。
今日も
どこかでシャッターの
音を響かせたいが
いつまでも
そこに
疑問を
持ち続ける。
では
今日もまた
愉しい一日を。
読んでくれて
ありがとうです。
2010年05月29日 Posted by un at 12:56 │Comments(0)
バターは白い皿を右往左往。
スクランブルエッグとか
パンケーキとか
卵を使うものは
魅力的だ。
アレルギーを
もってる人には
申し訳ないが
あまりに面白い
小説をしらないのと
同じくらい
どことなく損を
感じてしまうだろう。
生まれて死ぬまで
食べることに
限りはあるが
ただただ
愉しみたい。
2010年05月26日 Posted by un at 22:05 │Comments(0)
そこに灯りがある。
食事をするとき
蛍光灯よりも
何よりも
火があると
美味しく
感じさせる。
揺らめきからなのか
それをコントロール
できないからなのか。
なんでも
いいけれど
確かなものが
そこにあるから
周りが引き立つのだろう。
2010年05月26日 Posted by un at 21:31 │Comments(0)
テーブルが小さいと言う事。
パリのビストロに
はいるとそれが
小さいことに
驚かされる。
肘をついたら
白いお皿にあたる。
煙草をふかすと
周りが霧のようになる。
しかし
なんだろう。
妙に食事が愉しい。
そして、心地よい。
気遣いができる。
小さな窓から見える
景色はまるで
旅先のホテルから
眺めるような
非日常の
それだ。
小さいとか
狭いとか
少しの
たり無さ加減は
美しいのだ。
2010年05月26日 Posted by un at 20:59 │Comments(0)
kichenは美しく狭い方がいい。
僕はときどき
今のアパートに
TOYO KICHENを
しつらえたら
どうなんだろう
なんて考えたりする。
料理といっても
たいした事は
しないのだが
関係なく
それに
思いを馳せてしまう。
コトコトとか
ジュッジュッとか
サラサラとか
ふつふつとか
料理の音を相乗させる
美しさがあるのだ。
いつか
リフォームしようかな。
笑
2010年05月26日 Posted by un at 20:19 │Comments(0)
映画を手にとるときの事。
今まで観てきたなかで
考えてみると
料理の絵が多い
映画を手にとる事が
多々ある。
それの主役はバン
だったりショコラで
あったりするのだけれど
ひとつの軸として
食べるという行為が
関わっているから
好きなのかもしれない。
色鮮やかな
フランス料理や
家庭料理から
世界へ船出した
イタリア料理。
僕の映画履歴は
料理と並行している
みたいだ。
今日は
公務員の女性が
自身のブログで
料理をつくり
そのシンプルな行為が
生きていく糧に
なってゆく物語り。
僕は
これから
何を愉しもうか
考えたくなった。
では
明日も良い日を。
2010年05月26日 Posted by un at 19:19 │Comments(0)
雨と風が街を走る。
なんだか
アパートに響く風と
雨の音。
ぐっすり眠れたけれど
通勤をどうしようか
思案している。
少し前までは
雨となると
気持ちがひけていたが
この頃はあまり
考えなくなった。
むしろ
こんな日もいいのかも
しれないという諦観。
今日も
朝にオレンジを
食べて野菜のスープ。
胚芽米のパンを
お皿にのせて
食す。
ゆっくり過ごす。
そして
眈々と出勤。
では
今日もよいよい
朝を。
読んでくれて
ありがとうです。
2010年05月24日 Posted by un at 06:38 │Comments(0)
花をおくること。
お客さんが
入院してしまい
お花を届けた。
流石に
入院している
病院へ行くのは
おつき合いがあっても
なんだから
その方が
経営されている
病院へ届けた。
花をおくるのは
キザであるとか
昔から言われるが
全く気にならない。
花が好きであるし
好きなものを
贈りたいからだろうか。
さらに言えば
生活に花があると
やわらかい空気というのか
余裕が生まれる気がするのだ。
あなたも
今日はどこかの
大切な人へ
一輪贈ってみませんか?
上質な花が
欲しい方は
平林通りの
パラボッセさんを
おすすめします。
2010年05月22日 Posted by un at 13:00 │Comments(2)
友人が花嫁になることについて。
彼女を女性として
見ることはなかったが
結婚することを
友人から
聞いたとき
すこし寂しい気持ちに
なった。
毎日
過ごしていると
よく分からない
感情に出逢う。
そういうときは
迷わないで
起きたことを
感じて
受け入れる。
平原の真ん中に
立ったときとか
アイスクリームが
溶けかかって
急いで舐めるときの
瞬間に思い出して
考えるのがいいかも
しれない。
6月は
ジューンブライド。
友人の倖せを
心から祈りたい。
2010年05月18日 Posted by un at 21:16 │Comments(0)
白い箱にかかれている数字を思い出せない。
朝。
起きたら
白い箱に
数字が羅列されている。
誰かの誕生日なのか。
想いのある数字なのか。
誰か知りませんかね。笑
では
よい夜を。
読んでくれて
ありがとうです。
2010年05月18日 Posted by un at 19:06 │Comments(0)
静かになってゆく。
ノイズとか
よく
映らないとか
何かしら
不具合があった。
テレビ。
世界はだんだんと
静かになって
凹凸すら
なくなるのかもしれない。
なんか
不具合は
一種の思い出を
より良くする
拡張機であり
それがなくなったときは
どうなるのか。
夜、友人にもらった
バゲットを
かじりながら
考えた。
明日もまた
愉しい一日を。
読んでくれて
ありがとうです。
2010年05月15日 Posted by un at 23:16 │Comments(0)
座席のうしろ。
飛行機に乗ると
いつも好んで呑んでいる
ビールではなくて
シャンパンを呑む。
多分
非日常をトランポリンに
乗ったときのように
高く気持ちを
あげたいからなのか
もっともっと
日常を感じないようにと
そうするのだ。
非日常と言えば
運転席のうしろも
それのように感じる。
タクシーに
乗るときとか
バスの大きな窓から
見る景色とか。
では
今日も間を大事に
しながら。
よい一日を。
読んでくれて
ありがとうです。
2010年05月14日 Posted by un at 08:43 │Comments(0)
声を出して話をするということ。
昨夜
友人と
缶ビールを片手に
随分と話しをした。
そんな中
ふと思ったのは
分かっているけれど
(理解していない可能性も)
マイナスの言葉で
癒され、その人が
解放されることも
あるということだ。
分かってはいるけれど
僕はそれに
溢れると極度に
落ち込み考え込んで
しまう。
それがよく分からないが
人のことだと尚更なのだ。
話しをするときに
相手のことを思いすぎると
自分は出てこないけれど
出過ぎるとまた
相手が出てこない。
口を動かして
言葉を重ねることって
本当に奥深い。
そして
まだまだまだ
人を分かってあげて
いないと痛感した。
居た友人たちは
わからないけれど
良い夜だった。
多謝。
さて!
今日もまた
愉しい一日を。
読んでくれて
ありがとうです。
2010年05月11日 Posted by un at 08:45 │Comments(0)
庭に緑が萌える。
部屋から窓を
通して
猫の額ほどの
庭がある。
ひめおどりこ草や
たんぽぽ
桜のちいさな樹が
植えられている。
そこを毎日見ていると
何故か飽きることがない。
朝は
鳩が
歩いていたり
どこからの風に
のって新たな植物を
発見したり。
僕の一週間は
暇とか飽きるとか
人に比べて
少ないのかもしれない。
さて
明日から仕事。
いいスタートを
意識したい。
2010年05月05日 Posted by un at 18:49 │Comments(0)
ボルビック。
なんてことだ。
あの明治さんの
次は
ボルビックが酷い。
僕だけなんだろうか。
こう思うのは。
パッケージが
こんな感じに
なってしまうのは
寂しい。
いいな〜と変化を
愉しめるものも
あるけれど
ん〜むと
下をむいてしまうものが
多い。
さて
不満はさておき
愉しいこと作りに
街へいかないと。
あなたもよい一日を。
読んでくれて
ありがとうです。