それは正しいのかもしれないが。


傾きかけた夕焼けに
人は政治を
批判する。

陽がのぼる
そのときに
人は
それを讃える。

僕はいつのまにか
嫌いとか言いながらも
人を批判し
人をきらう。

それは
意識するまえの
状態のようで
すごく
恐れ多くて
恐怖におののく。

でも
そんなときでも
何か襷をわたすように
何か
わからないけれど
出来たらと
思ったりもするのだ。

  


2011年01月23日 Posted by un at 01:41Comments(2)

数字ではないよね。


いつのまにか
騙されていないか?

数字というシステムに。

それぞれの感性で
良い筈なのに
ニュースで流れる
それ。

政府は
間違ったことを
ときにはやりながらも
前へ進んでいれば
良いと
ぼくはおもう。

簡単に
新聞や
あらゆる数字や
昔、与党であった
なにをやったか
わからない政党の
軽い言葉に流されては
いけない。

農作物を育てるように
時間がかかるのだから。

スピードという言葉には
気をつけなくてはならない。

そして
僕らにも
批判するまえにやる事が
一人一人ある筈なのだから。

人のやることは
良く見えて
自分のやることは
見えていないのが
常だ。

いつまでも
それでは愉しくないから

一人がカワル。
日本から。
  


2011年01月16日 Posted by un at 20:31Comments(0)

安いという意味のさきには涙があるのだ。


スーパーマーケットに
いくと信じられない
値段でいろいろなモノが
売られている。

お豆腐がイッチョウ
19円とか。

いつのまにか
他の商品とのバランスを
保ち営業を続ける。

僕を含め生活者は
それを節約という単語に
流され
もとめてゆく。

これでいいのだろうか?

僕は今日から
阿呆みたいな値段の
ものを買うことを
やめる。

共産主義ではないけれど
適正価格というものを
忘れてはいけないと
おもう。

文句をいうだけでは
駄目だから
僕だけの
僕のなかの
政府をつくるのだ。
  


2011年01月16日 Posted by un at 14:11Comments(6)

落ちている空き缶の癒し。


道に
落ちているゴミは
まあ、言えば
負の塊りだろう。

しかし
どこかの誰かが
落ち込んでいて
それを
帰り道に蹴ってさ。

そうしたら
負とは言えないのだろう。

癒してるとか
癒されてるとか
そういう存在は抜きにして。

平野にひろがる
淡い陽が落ちるのを
見ていたら
なんか
そんなことを
思ったのだ。

また
明日も
よい一日を。
  


2011年01月07日 Posted by un at 20:38Comments(0)