声を出して話をするということ。
昨夜
友人と
缶ビールを片手に
随分と話しをした。
そんな中
ふと思ったのは
分かっているけれど
(理解していない可能性も)
マイナスの言葉で
癒され、その人が
解放されることも
あるということだ。
分かってはいるけれど
僕はそれに
溢れると極度に
落ち込み考え込んで
しまう。
それがよく分からないが
人のことだと尚更なのだ。
話しをするときに
相手のことを思いすぎると
自分は出てこないけれど
出過ぎるとまた
相手が出てこない。
口を動かして
言葉を重ねることって
本当に奥深い。
そして
まだまだまだ
人を分かってあげて
いないと痛感した。
居た友人たちは
わからないけれど
良い夜だった。
多謝。
さて!
今日もまた
愉しい一日を。
読んでくれて
ありがとうです。