みんな、自分が総理大臣だったらと考えてみて生活をする。


まあ、なんともな
題名で申し訳ないのだけれど
みんながみんなで
こんな事を考えてみると
かなりそれぞれが
濃密な生活を過ごせるのかと
思える。
(矛盾してますが
濃密な生活が良しとは
思いませんが。笑)

別に日本国に例えなくて
会社でもどこでも
「擬似自分トップ論」を
考えると常に工夫や
気持ちが鮮やかに
良い方向へ行くかと
思う。

文句、愚痴、
うまく行かない事
全て自分のなかの事と
捉え自分が采配を取るならば
どうするのか?と考える。

自分を棚にあげて
論じることはいくらでも
出来る。

しかし、棚にあげないで
それを改善するのが
自分しかいなかったら。

世界に一人だけの
トップであるなら。

そんなことを
考えても
変わらないこともあるけれど
でも、変えれることが
多くなるのだろうと
思う。

そんなことを
考えながら
食べている
クッキーは美味しいな〜
なんて考えてる。


明日も
あなたにとって
素晴らしい一日で
ありますように。

  


2012年05月26日 Posted by un at 22:28Comments(0)

ドアの先にしかない木。


風の力なのか
窓がすこしだけ揺らぐ。

部屋の灯りもそれと
同じように
動いた。

音もしないのに
ものが動くことは
不自然だけれど
どことなくあたたかい朝。

僕は今まで
ドアの前にいた。

そして
そこに手をかけることなく
それを開けたことがなかった。

その前に立って
ドアの向こう側にある
木を気にしていたのだ。

周りの目。
自分の存在との違和感。

流れに沿わず
努力もせず
自分を過信して
自信ばかりが膨れあがり
俺は人とは違うと思っていた。

しかし、今はすこしずつ
それが溶けてきた。

いつからか
分からないけれど
周りの力が
僕を支えてくれていたから
ここまでなれたんだと
思う。

変化の過程は妙に
思いだせない。

思い出せるのは
その始まりの
キッカケだけなのかもしれない。

そこに手をかけたら
もう変わっていて
世界は自分は
カタチを変えたあとの
その姿が鏡に浮きあがる。


もし、あなたが
ドアのさきにしかない木が
見えるのならば
まずは手元にある
考えを捨て
手をノブにかけると
いいのかもしれない。

そこに手を出すまでは
冷や汗や
油汗や
焦りや
恐怖や
自分に対しての不甲斐なさを
感じるかもしれない。

しかし
それの先は本当に
瞬きのごとく
いつのまにか
力をいれる前に
それは開かれる。

というよりも
ドアさえあったのか
思い出せなくなる。

簡単では
ないのかもしれないけれど
手をかければ
簡単にドアはひらかれる。



今日も
素晴らしい一日を。

  


2012年05月16日 Posted by un at 08:21Comments(0)

女性とダーウィン。


友人に
「おんな」について
書いてくれと言われたので
つれづれと書いてみる。

誰にあっても思うのだけれど
男はパズルで言えば
凹みがないピースで
女性は
普遍的なピース。
凹みがあり凸もある。

だから、女性はどんな
話しをしても凡ゆる場所に
凹みがあり、また主張という
凸もあるから話しが
絶えることはない。

しかし、男は
凸のみと言っていいくらい
凹みがないので
話しが続かない。

それと
男女間て
パズルみたいだな〜
なんて思う。

実際はあまり
考えは合致しないと
意識すればうまくいくのかも
しれない。

そうそう
女性的な男性が
増えているのは
「変化を続けるものが
永らくの生を続ける」と
説いているダーウィンが
論じる部分から
考えられるかも。

まあ、そんな頑なに
生き残らなくても
いいんだけどさ。


では
今日もよい一日を。

  


2012年05月13日 Posted by un at 23:34Comments(0)