憂いと豊かさの間にある連絡先がわからないという事。


連絡がとれないことは
憂いや焦りを携えている。

しかし、
豊かさがそこにあることも
否めないことも
僕は分かってきた。

好きな人の番号をmailの
アドレスを僕は知らない。

いつも一緒にいる人なんだけど
連絡のときに必要なそれを
知らない。

何でなんだろうと思うけれど
湖の上に黄色のボートが浮かぶように今はまだ必要がないのが時間の流れだなんて思っている。

声を聞きたいと思っても
気持ちを伝えたいと考えても
何もできないのだ。
だから。

そんな状況を友人は笑うけれど
僕はなんだかその
「わだかまり」のなかに
豊かさを感じる。

相手を想像し、好きな人を強く
思って反芻するからなのだろうか。分からないけれど。

それと、早さや遅さという
スピードの感覚がなく
あるのは「待つ」ということと
「今ここにある気持ち」に
触れることが出来る
ということ。

強く心を意識して
その好きな人を想う。

誰の気持ちにも触れることなく。


今までに
出逢ったことがない人に
出逢えたこと。

限りなく
感謝したい。

そんな水曜日だ。

  


2013年04月24日 Posted by un at 09:57Comments(0)

かなしみの大切さ。


早い。

時間はたつのは日を追うごとに
早くなっていく。

桜が咲いたあとには
陽がつよく、地をさし
すこし経つと木々の模様が
色とりどりの姿で
山や街にあらわれる。

そして、白の景色がひろがる。

毎日のなかで
見え隠れするものばかり
追いかけていると
目の前にある
大切なものを失う。

あるもの。

僕のまえにはたくさんの
かなしみやうれしさがあるけれど
どちらが必要がないという事はない。

かなしみも
大切だと感じるようになってきた。

ここにあるものを
掬い
目をゆっくりひらいて
見てみよう。

小さなリストランテで
出された
美しいひと皿をながめるように。




今日もあなたにとって
よい一日でありますように。
  


2013年04月06日 Posted by un at 10:05Comments(0)

走ったあとにゆっくり歩いて手のひらを広げてみる。


風を感じ
木々がすり合う様子を
耳できく。

ほかの音を
重ねて、その音を頭で
理解するのではなく
感じるようにする。

前は毎日のことを
知っていたかのように
過ごしていたが
なんだかこのごろは違う。

昔のかおりが
漂う日々がおおい。
知っている筈なのに
知らないような、それ。

小学生のときの
下校時刻が過ぎた校庭のかおり。

バス停の近くにある
畑から見おろす街の景色と
秋の稲穂のたゆたう姿と
そのかおり。

家族とすごした
旅の帰り道の香り。

香りばかりだ。

明日は木曜日。

がんばろう。
仕事も。

一つうまくいかなくても
倖せな日々に変わりは
ないのだから。

紡ぎ
紡ぐ
毎日。

大切なものを忘れてはいけない。
  


2012年10月10日 Posted by un at 21:47Comments(0)

手紙がとどいた時のように人の裏や表をながめてみる。静かに。


友人は
裏が見えないんだよね。
とよく言う。

こんなことをするなんて
怪しいよ。

昼下がりのお寺近くにある
イタリアの料理を
出す小さなお店でホークを
動かしながら。

白い布巾で口を
ぬぐって
そこに口紅がつく。


表?
裏?

見えなくていいじゃないかと
僕は思う。

怪しむことは
自分を信じていない
裏返しでもあるし。

でも、そう思ってる
友人をこうなんだよ〜
て宥めたりもしない。

人はいつか気付く。

そして、
そこに行き着くまでの
時間が長かろうと
短かろうと
どちらが良いというのも
ないのだ。

プロセスは人を新たな
領域に持っていき
自分自身で気付いた事は
ヒッグス粒子のように
早さを超越して
何かに辿りつく。

感覚として
心地いいのだけれど
その要因がわからない。

しかし
美しい形をおりなす。


気付く。

これからのキーワードかも
しれない。


今日もよい一日
素晴らしい日曜日を。
  


2012年07月22日 Posted by un at 09:30Comments(0)

文と紙との狭間で。


どうも
僕は
疲れていると
映像を観たくなくなるらしい
ことが分かってきた。

さらに音さえも遮る。

どれだけ疲れてるんだ。

て、男の友人から言われたが。

それで、
そんなときを
思い出したのだが
そういう時は何故か
本を読んでいる。

逆に疲れない?

なんて、
女性の友人に言われるけれど
それがそうでもないのだ。

そして、このごろ
つくづく思うのが
文を読むって紙も
一緒に読んでいるような
気がする。

さらさらと指で
触り、ページをめくる。

静かな夜や音のない
部屋だとその音が
響いたりして。

朝であれば
鳥の声と紙の音。

やはり、文を読むって
紙からがいいのかもしれない。

しかし
しかし、
これから夏になると
夜の読者は微妙だ。

  


2012年06月16日 Posted by un at 21:48Comments(0)

みんな、自分が総理大臣だったらと考えてみて生活をする。


まあ、なんともな
題名で申し訳ないのだけれど
みんながみんなで
こんな事を考えてみると
かなりそれぞれが
濃密な生活を過ごせるのかと
思える。
(矛盾してますが
濃密な生活が良しとは
思いませんが。笑)

別に日本国に例えなくて
会社でもどこでも
「擬似自分トップ論」を
考えると常に工夫や
気持ちが鮮やかに
良い方向へ行くかと
思う。

文句、愚痴、
うまく行かない事
全て自分のなかの事と
捉え自分が采配を取るならば
どうするのか?と考える。

自分を棚にあげて
論じることはいくらでも
出来る。

しかし、棚にあげないで
それを改善するのが
自分しかいなかったら。

世界に一人だけの
トップであるなら。

そんなことを
考えても
変わらないこともあるけれど
でも、変えれることが
多くなるのだろうと
思う。

そんなことを
考えながら
食べている
クッキーは美味しいな〜
なんて考えてる。


明日も
あなたにとって
素晴らしい一日で
ありますように。

  


2012年05月26日 Posted by un at 22:28Comments(0)

ドアの先にしかない木。


風の力なのか
窓がすこしだけ揺らぐ。

部屋の灯りもそれと
同じように
動いた。

音もしないのに
ものが動くことは
不自然だけれど
どことなくあたたかい朝。

僕は今まで
ドアの前にいた。

そして
そこに手をかけることなく
それを開けたことがなかった。

その前に立って
ドアの向こう側にある
木を気にしていたのだ。

周りの目。
自分の存在との違和感。

流れに沿わず
努力もせず
自分を過信して
自信ばかりが膨れあがり
俺は人とは違うと思っていた。

しかし、今はすこしずつ
それが溶けてきた。

いつからか
分からないけれど
周りの力が
僕を支えてくれていたから
ここまでなれたんだと
思う。

変化の過程は妙に
思いだせない。

思い出せるのは
その始まりの
キッカケだけなのかもしれない。

そこに手をかけたら
もう変わっていて
世界は自分は
カタチを変えたあとの
その姿が鏡に浮きあがる。


もし、あなたが
ドアのさきにしかない木が
見えるのならば
まずは手元にある
考えを捨て
手をノブにかけると
いいのかもしれない。

そこに手を出すまでは
冷や汗や
油汗や
焦りや
恐怖や
自分に対しての不甲斐なさを
感じるかもしれない。

しかし
それの先は本当に
瞬きのごとく
いつのまにか
力をいれる前に
それは開かれる。

というよりも
ドアさえあったのか
思い出せなくなる。

簡単では
ないのかもしれないけれど
手をかければ
簡単にドアはひらかれる。



今日も
素晴らしい一日を。

  


2012年05月16日 Posted by un at 08:21Comments(0)

女性とダーウィン。


友人に
「おんな」について
書いてくれと言われたので
つれづれと書いてみる。

誰にあっても思うのだけれど
男はパズルで言えば
凹みがないピースで
女性は
普遍的なピース。
凹みがあり凸もある。

だから、女性はどんな
話しをしても凡ゆる場所に
凹みがあり、また主張という
凸もあるから話しが
絶えることはない。

しかし、男は
凸のみと言っていいくらい
凹みがないので
話しが続かない。

それと
男女間て
パズルみたいだな〜
なんて思う。

実際はあまり
考えは合致しないと
意識すればうまくいくのかも
しれない。

そうそう
女性的な男性が
増えているのは
「変化を続けるものが
永らくの生を続ける」と
説いているダーウィンが
論じる部分から
考えられるかも。

まあ、そんな頑なに
生き残らなくても
いいんだけどさ。


では
今日もよい一日を。

  


2012年05月13日 Posted by un at 23:34Comments(0)

形式とか世のカタチの通りで人との繋がりは測れない。


もし
今まで家族として
接していた妹が
実は血がつながって
いなかったとしよう。

その事実を知らないで
17年、
妹として思っていたとする。
しかし、事実を知って
世の中で言えば
妹ではないことに気づく。

それは
何なのだろう。

これは
どちらが良いとか
悪いではなく
それまでの繋がりが
いかに厚く濃いかというのが
大切なんだと思うのだ。

世のカタチというのは
だから何なんだ。

認められていないことが
本当のことを否定することは
できない。

ようはその人となりが
その人をどう思っているのかが
大事だと思うのだ。

世ではない。

人がどう思うかではない。

自分がどう想い
どう
生きているのかが
大切なんだとおもう。

まあ、酔いながら
映画みながら
ふと
考えてみました。笑
  


2012年02月29日 Posted by un at 20:31Comments(0)

ホーヨーリョクの。


前の前から友人に
ある漫画を勧められて
チラチラ読んでいた。

しかし、どうも
10代に読み過ぎたせいか
その絵や勢いに
ついていけなくて
横にそれて読まなく
なったりした。

しかし、それに
反してその
一つの希望というか
一つの平和な題名の
漫画は
日に日に人気に。

今やあらゆるものと
タイアップして
目に入らない日はない。

それで、考えたのだが
なんでそこまで
受け入れられるのかと。

あらゆる角度から
観察してみたら
一つのやわらかな
答えを感じた。

それは
包容力。
抱擁力とも言うかもしれない。

主人公が様々な
仲間と海を航海する。

その仲間というのは
本当に様々で
能力とか人格とか
ボコボコに波がある。
笑。
もし、僕であれば
まあ、もう
航海しながら毎日、後悔。

何でこいつらを仲間に。

なんて考えたり
してしまう。

しかし、それを
主人公は
海に例えるがごとく
愉しむように
まとめ
上に立つことなく
隣りに立ち
まとめる。
航海する。

まるで
理想のリーダー像
のようなものを感じたのだ。

つまり
包容力。

それでいいから
前に進もう!
いいじゃないか
そういうのだって。

こんな力があるだろ?

お前には。

言葉に出さず
しかし、それを
仲間に感じさせるように
促し、進む。

その
寛大なやさしい
やわらかな
包容力が
人気の陰にあるかも
しれないなと思ったのだ。


ドラゴンボール時代には
ない、何かを持っている。

みんなが欲している
希望が想いが
隠れている。

そんな
one peaceを
すこし
考えてみた
金曜日でした。

もう
2分で明日。

あなたに
素敵なone peaceが
ありますように。
  


2012年02月25日 Posted by un at 00:01Comments(0)

美しい字とは醜い字とは。


何か
よくわからないことに
しばしば出逢う。

というのは
字との対峙だ。

見た目で言えば
美しい文字が
それは素晴らしいもの
であることは確かだ。

しかし、
その人の内面や
その感性、思考の仕方
を分かった上での
文字の見方は異なる。

醜いものは
そのカタチが
ユニークとなり
愛を醸し出し
美しさはなんだったのかさえ
忘れてしまう。

その人を想う
優しさなのか
慈しみなのか。

filterを通さず
あらわになった
ものが表現される字には
豊かさを感じずには
いられない。

見えないものを
見てるような
そういう感覚は
今の自分には何よりも
あたたかな、
確かな
ものと感じてしまう。

正確なものと不一致する
それはただただ
美しいと
思うのだ。
  


2012年02月08日 Posted by un at 13:52Comments(0)

オールドファッションを囓りながら。


買うつもりはなかったんだけど
村上春樹氏の文を
読んでいたら
帰りにドーナツを
買っていた。

雲はどことなく
散れ散れに
空という空の
余白を転々とうめる。

食べものは
大きさ、質に関係なく
気持ちを満たす。

躰もそれを
待っていたかのように
頷き、
受け入れる。

土曜日。

誰か隣りにいる訳では
ないけれど
まるで、そこにいるように
満たされていない
ところを
静かに満たす。

よい夕刻を。
  


2012年02月04日 Posted by un at 14:42Comments(0)

歩いてcafeに入ってそれで、、。


こんなにsimpleな映画は
久しぶりにみた。

ほんと
話しをしながら
歩いて、歩いて、
人との接触はあるけれど
一言二言。

(あ、猫のアクターさんも
いた。)

また、話しをしながら
歩いて、歩く。

しかし、妙な
緊張感というか
いい意味での気持ちの
探り具合が映像にでている。

光もきれいに出ていて
う〜ん。絶妙。

考えに考えた脚本か、
先鋭な
感覚からなるものなのか。

何だか
誰かと話しをしたくなる
そんな作品だった。

窓に映り込む
エッフェル塔が
印象的だった。
(Parisロケだが
そこはその部分しか
映っていない。)

いい時間だった。
  


2012年01月28日 Posted by un at 21:32Comments(0)

雲の。


見え隠れするのは
目にみえるものだけでは
ない。

言葉は危うくて
自分で見えているつもりが
みえていないことが
多々あるものだ。

見ようとすれば
見えなくて
見たくないときに
見えてしまう
現実。

それでも
何か
こう
綺麗に
美しくみえるのは
何故だろうか。

その
言葉とか
コーヒーの香りや
大きな皿にのせる
朝のパンとか。

日々のことを
ひとつ、また
ひとつと
大切にしなくては
なんて思う。

今はもう
誰にどう思われようと
静かに時間を過ごす。

ゆっくりと。
  


2012年01月19日 Posted by un at 21:37Comments(0)

壁画のリストランテの。


白い扉を手でおして
店にはいると
目のまえに
大きな、大きな絵画が
ある。

作家はわからないけれど
そのインパクトたるや
凄まじい。

皿にひろがる料理と
その想い。

相反する
形を織りなし
さらにその美しさを
増幅させる。


わからない感情は
何かを豊かにする。
  


2012年01月18日 Posted by un at 20:28Comments(0)

文字をおこし記すということ。


iPadやら
iPhoneは素晴らしい。

あらゆるものが
手元にあらわれ
何かを探せば
瞬きの間にそれは
みつかる。

何かを考え
誰かにそれを伝えたければ
見えない郵便バイクに乗って
あの人のところへ
届いてしまう。

しかし、手で文字を
おこし記すことを
考えてみる。

乱筆で粗悪な文字で
あっても
その手で
おこすのが
どれだけ素晴らしいことか
このごろ
ただ、ただ、思う。

そのときの体温や
皮膚の感覚。

天気とか
外の温度。

窓からみえる
山と山の色。

すべてが密に絡みあい
文字をおこす。

そんな感覚に
落ちながら
できあがってゆく
その形に
妙に感動する。

あらゆるものが
美しくみえるときは
恐怖すら感じる。

しかし
そういう時期
なのかもしれない。
  


2012年01月15日 Posted by un at 22:14Comments(0)

めぐるたべもの。


体調がいいのか
野菜やら鳥のムネ肉を
食べたあと
躰のなかで栄養が
吸収される感覚を
頭でとらえられる。

というより
感じる。

前までは
そういうのは
なかったのだけど
このごろは
そうなのだ。

気持ちが落ち着いて
いるというのも
あるのかもしれない。

これから
巡ったものの
整理。

いらない
部分だけを
外へ。
肌を
とうして外へ出しにいく。

天気も雲もゆるやか。

いい日だ。
  


2012年01月09日 Posted by un at 14:42Comments(0)

なんて事だ。棚からひよこ豆が消えた。


時間が作れれば
決まった
スーパーマーケットに
行く。

まあ、ツルヤさん
なんだけれど。

ここでひよこ豆を
いつも買っていたのだが
となりの兄弟たちは
いるけれど
それがいない!
ひよこっ!

また、大したことは
ないんだけど、、

2回も!
なかったもので。
(1回目の買い物から
一週間から経っていたのに)

どなたか
わかりかねますが
僕と
タイミングが
合ってしまう方
すこしツルヤへの
買い物の日にちを
ずらしてもらえませんか。


我儘な一日が
今日もはじまります。

さて、走りいこ。

粉雪が舞う街もいい。
  


2012年01月08日 Posted by un at 13:40Comments(0)

ジム・デネヴァンの。


瞬きのあと
目がおどった。

彼はフリーハンドで
幾何学の模様を
砂のうえにおこす。

印象では
自然のなかに潜む
奥にある美しさと
感じた。

今まで知らなかったけれど
興味があるかたは
是非に。

現実をこなしながら
美しさを貪る毎日て
本当にしあわせだな〜
  


2012年01月07日 Posted by un at 12:13Comments(0)

公園でチェロをひく人の同じ方向を見て坐る。僕は。


地上から空をみると
綿みたいな形のものが
浮遊して
次の場所を知っている
ように移動をしている。

美しい色をしていて
たくさんのそれに変貌
をくりかえす。

僕がいなくても
それを
日々
くりかえす。

また、チェロの音が
耳に届きだした。

低くく高く
形を変えながら
僕がそこにいても
いなくても
世界にひびく。

小さくても
確かにひびいていくのだ。
  


2012年01月06日 Posted by un at 09:21Comments(0)